神の名

「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭17:26‬ ‭新共同訳‬‬
http://bible.com/1819/jhn.17.26.新共同訳

神の名は「わたしはある」とヨハネによる福音書の8章24節にあります。

『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭8:24‬ ‭新共同訳‬‬

「神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」」
‭‭出エジプト記‬ ‭3:14‬ ‭新共同訳‬‬

ヨハネによる福音書8章の「わたしはある」という神の名は神がモーセに語りかけられたところにあります。
それは「存在そのもの」世界の理、真実ということです。

そして、その神の名を知ることがイエスを神と共にあるものとして信頼することになるとここでは言われています。
そしてイエスを信頼する人は「友」となり自由に生きて神に願えば叶うとありました。
以前にも言いましたが、「友」となるには条件があります。その条件を一番大切なことにすることで、人を一つにする(争いのない世をつくる)ことができるのだとイエスは語っておられます。

それは
イエスが人を愛されたように
あなた方も人を愛しなさい。

それは
サマリヤの女に向かい合われたイエス
ザアカイを受け止められたイエス
長血の女に力を分けられたイエス
願うものに、答えて癒しを与えられたイエス
答えを見いだす力を与えられたイエス
山上の教えの中で
空の鳥野の花のようにと語られたイエス
七回を七十倍許せと言われたイエス

もしも誰かが、人を相手のそのままの存在と思いで理解しているなら、理解し合うならそこに神の愛があるということ、イエスの友となるということです。
反対に言えば、それがなかったらどんなにイエスを信じていると言っても、クリスチャンだと言ってもイエスの友とはなれないし、
人をまるごと受け入れる力のある人は「イエスの友」となることができるということになります。
幼稚園で子どもの思いを思いとして保育してる先生たちは信仰告白や教会出席にかかわらず「イエスの友」だと思います。

ここのところも色々ありますが
認めていただけない人や、
現実を見つめられない人や、
理解しないで押し付けようとする方とは一線を置かないとお互いに潰れてしまいます。

難しいなあと思うことがあります。
昔、よくわからないで自分の思いや願いを押し込めて信仰を持ったり、
人を大切にすることより、指導者のいうことを聞くことが一番だったり
そういう人たちは人は自分の心や願いや人の思いに鈍感にしようとしてるように見えます。そういう方に理解していただくことは無理じゃないかと思います。
新興宗教で問題となるところと同じです。マインドコントロールされてることもあります。そういう方を受け止めて本来の自分に立ち返り共に生きることができるようになるには、その人の意思と、本気で向き合う時間と精神が必要です。

他者の思いにしっかり共感できることが
人を救い、世界を救う力になります。

イエスはそういう人の中に生きています。

神の名は「わたしはある」I’m be
私たちも自分らしくいい感じに生きたいですね。well being

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