イエスの教えと自由

昨日オープンダイアローグというシンポジウムに参加してきました。中動態という能動態でも受動態でもない自分の行動や思いと自分自身が分けられない態…私の判断では多分そうじゃないかなあ…誰かのことを好きな私みたいな…あるそうです。
古代ギリシャでは3態というのがあり、それは知、欲、勇気なんだそうです。意思というのは新しい概念でそれはキリスト教の学問から発生したのだそうです。
聖書の福音書(イエスの現存中になされたこと、語られたことが書かれている)を読むと…主語なく述べます(これも中動態かな)…人が人としての意思を持つということが多く出てきます。
イエスへの願いを持つ、自ら行動する、それを「信仰」と呼んでいます。
意思とリアリズムというのも考えて行くテーマなのだと伺いました。
自由主義は本当の意味の自由にはなっていない。わたしは何か自由のためには前提があると考えていました。
最近聖書を読んでいて…ヨハネによる福音書14章15章あたりですが…「イエスのように隣人を愛するならあなたたちは自由だ」という文脈があります。
そのイエスの愛、人の思いに向き合って最善を求める愛こそが自由へのパスポートなのです。
それがないとやらされてる応答になったり、なんとか辻褄を合わせて利己的な自由になったりと言うわけです。
自由と言う言葉を使ってもそこには幸せも共感も真実も無いのです。
そう、そのイエスのような愛が人を自由にして救う力なのです。

人の意見やお話を聞くと(オープンなダイアローグ)みんな悩みや意見を言う場所、聞く場所を求めているんだなあと感じます。

教会というのは誰かのいう通りやるとかいい人になる(世間一般の)とか、信心深い感じになるとかいうことより互いに関わりあう「場」であるのが理想だと思います。
その中に「イエスの愛によって」真の救いは顕される。…中動態かな…そういう存在になるということ。
それがほかの事業…やってること…や生き方にも通じているということです。

そういう集まりを目指して行きたいですね。

興味のある方は日曜日10時から教会として幼稚園をオープンしています。
教会というのは建物ではなく、イエスの思いを基に人が集まることを指しています。ちなみに建物があった方がわかりやすくて便利ですね。

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